参考資料
伝成館の歩み 概要
NPO法人 伝成館まちづくり協議会 代表理事 飯島実
平日午後は駐在予定
電話 01537−3−4301 (fax)
構成員 理事 12名 50歳台が中心 30歳台から80歳台まで
会社経営者 農業、酪農家、紙ヒコーキ作家など
会員 55名 多岐の立場の町民 札幌、東京、姫路など各地の理解、協力者
活動に至る背景と経緯(あらすじ) 詳細は以下の新聞記事を参照ください
2003年3月に根釧農業試験場が新庁舎に移転し それにともない旧庁舎は取壊しが決定されていた それを知った町内有志が歴史的建物の保存運動を開始し(H14.7) 署名活動などを行い行政当局に訴たえたが既定の方針はなかなか変わらなかった
2003年6月22日にシンポジュームを開催し 保存会をNPO組織として保存活用の受け皿をつくり 行政当局への再三働きかけ、北海道の公式HPへのメールによる投書をして それに対する道庁からの返事を引き出し さらに 2003年8月23日 直接 知事との面会も実現して 町の姿勢も変化して 実質的に取壊しの方針が撤回された その後 NPOは法人として認証され(2003.12.19) 道庁から中標津町への無償譲渡 そしてNPO法人への管理委託(2004/07/30)が実現した
以下おもな新聞記事を時系列に並べてみました
2002/06/15
解体される根釧農試庁舎*開拓の象徴 惜しむ声*景観上も大切な建物*保存に消極的な中標津町
【中標津】移転新築に伴ない、二〇〇三年度中に解体される道立根釧農業試験場の現庁舎について、「酪農家にとって心のよりどころ」「景観上も大切な建物」と、取り壊しを惜しむ声が地元中標津から上がっている。昭和初期の面影を残す一九二七年(昭和二年)の建築で、根釧台地の開拓の象徴だったからだ。しかし、中標津町は保存に消極的で、地域の数少ない歴史的建造物の一つは時代の波間に消えようとしている。
今年三月下旬、元酪農家の不動産業佐々木信重さん(77)の自宅に、さまざまな肩書を持つ十人が集まった。酪農家、会社役員、町議…。「根釧農業試験場旧庁舎本館保存推進会」を発足させるための会合だった。
*「史跡公園に」
呼び掛けた佐々木さんは言う。「『不毛の地』と言われた根釧原野で農業ができるようになったのは、農試が取り組んだ土地改良の研究のおかげだ。庁舎を地域の歴史的モニュメントとして保存してほしい。敷地内にはシラカバ並木もあり、根釧農業の史跡公園として利用できるのでは」
同会メンバーの町議殿守富さん(66)は「根釧の酪農の発展に寄与した貴重な財産。その財産を後世に伝えることは、地域の責務だ」と訴えた。
同会は五月上旬、道に対し、文書で庁舎保存を要望。今後は、広く住民に庁舎保存の重要性を訴えるため、署名活動などにも取り組む考えだ。
同農試の近くに住む元酪農家合田耕造さん(76)=桜ケ丘町内会長=にとって庁舎は若いころの思い出が詰まった建物だ。
*思い出も多く
「二〇歳代のころ、人が集まれる場所といったら農協か農試ぐらい。農協青年部の研究発表などでよく庁舎を使わせてもらった。酪農の勉強会もした。酪農家として農試に育ててもらったようなもの。庁舎をぜひ残してもらいたい。地域の人たちがアイデアを出し合い、活用方法を考えていくことが必要だと思う」
同農試庁舎の赤い屋根、白い外壁は、その北側を走るシラカバ並木と合わせ、中標津でも有数の景観スポットになっている。
この風景を切り取った写真で二〇〇一年度中標津町景観コンクール風景部門の優秀賞を受けた岩野美津子さん(48)は「牧歌的な雰囲気がいい。歴史と自然を感じさせる。この素晴らしい景観を残してほしい」と話した。
*都市計画に活用
中標津青年会議所の松実秀樹理事長は「町内には開拓の歴史を感じさせる古い建物はほとんどない。郷土博物館のような施設として利用できないか」と問い掛けた。
中標津町都市計画マスタープラン策定などで中標津の町づくりにかかわっている北大大学院の小林英嗣教授は、自然や文化遺産など地域全体を一つの博物館としてとらえるエコミュージアムの拠点施設として現庁舎の活用を提言する。
「農試庁舎は、道東の酪農のフロントランナーとしてのシンボルで、産業遺産でもある。同じ産業遺産の格子状防風林などと共に、都市計画マスタープランに盛り込んだエコミュージアム構想で活用すべきだ」と語った。【写真説明】2003年度中に取り壊される予定の道立根釧農業試験場の現庁舎
根釧農試現庁舎取り壊し*活用法など自由に語ろう*きょう町民団体がシンポ*中標津
2002/08/24, 北海道新聞朝刊地方, 30ページ, 写, 721文字
【中標津】道立根釧農業試験場の現庁舎が新庁舎建築に伴い、二〇〇三年度にも取り壊される問題で、地元中標津の町民グループ・根釧農試旧庁舎本館保存推進会(佐々木信重会長)は、二十四日午後七時から中標津経済センターでシンポジウムを開く。根釧台地の酪農の歴史とともに歩んだ庁舎を住民の力で残すことはできないか、残すとすれば、どのような活用法があるのか−を探る。
現庁舎の中央部分は一九二七年(昭和二年)の建築。当時の本道では珍しい鉄筋コンクリート二階建てで、その後、増築が重ねられ、現在の姿になった。
同会などによると、増築部分は鉄骨造で九四年の東方沖地震などの影響でかなり強度が低下しているが、庁舎中央部分はしっかりしているという。
現庁舎が取り壊されるのは、道から地元としての意向を尋ねられた中標津町が補修と維持管理の費用が高くつくのを理由に保存に消極的な考えを示しているからだ。
今回のシンポジウムでは、釧路市内のれんがづくり倉庫を文化ホールとして再生させた民間非営利団体(NPO)・浪花町十六番倉庫の永田敦子事務局長が取り組みの経緯や運営方法を紹介した後、参加者全員で自由討議を行う。
《1》地域の歴史とともに歩んだ建物の意義をどのように考えるか《2》建物を残すとすれば中標津の町づくりの観点からどのような活用が望ましいか《3》住民の手で建物を管理、再利用することはできないか−といった議論が交わされることになりそうだ。
同会は「この建物が地域に必要なのかどうかを住民自身がきちんと議論することが大切だ」とシンポジウムへの参加を呼びかけている。
参加は無料。
【写真説明】新庁舎完成後の2003年度にも取り壊される予定の道立根釧農業試験場庁舎
道立農試壊さないで*町民団体が署名活動*中標津
【中標津】2003/01/06二〇〇三年度解体予定の道立根釧農業試験場現庁舎(中標津町)の保存を目指す町民団体・根釧農試旧庁舎保存推進会(佐々木信重会長)は五日、道に解体延期などを求め、住民の署名を集める活動を始めた。
保存を目指しているのは現庁舎のうち、一九二七年(昭和二年)建築の鉄筋コンクリート二階建て延べ約四百六十平方メートル部分。昨年夏から活用法を中心に保存の可能性を探ってきたが、結論は出ていない。
解体延期を道に働きかけるのは、新庁舎完成が〇二年度末に迫る中で、保存に向けた検討の時間を十分に確保するため。
五日は会員七人がAコープ中標津店前など二カ所で、住民に協力を呼びかけ、約三百人分の署名を集めた。今後は会員がそれぞれの地域などで署名を集める。
同会は「今月中旬までに千人を目標に署名を集め、解体延期を実現させたい」と話している。
根釧農試旧庁舎*「保存」の鍵は住民の熱意*北大の角教授が講演*中標津
【中標津】2003/06/06 空知管内の炭鉱関連施設群など道内の歴史的建造物の保存運動にも携わる北大大学院の角幸博教授(工学)が四日夜、中標津町総合文化会館で、「歴史的建造物とまちづくり」と題して講演した。
根釧農試旧庁舎の保存や利活用の方法を考えるため、同旧庁舎本館保存推進会(佐々木信重会長)が主催。町民ら約二十人が受講した。
「そらち・炭鉱のまちからの挑戦事業推進委員会」委員長も務める角教授は、空知管内の炭鉱関連施設群が北海道遺産に選ばれたことについて、「地域の人がどれだけ大事にしているのかが、(選考の)最後の線引きになった」と述べ、住民が保存や利活用に熱意を持って取り組むことの重要性を強調した。
また、美唄市では、同市出身の世界的な彫刻家安田侃さんがアトリエとして使った旧校舎が、市民ギャラリーとして再利用されている事例などを紹介し、「歴史的建造物には、コミュニティーの核になる力がある。いろんな意見の人が話し合い、アイデアを出し合うことが大事です」と訴えた。
「活用の視点 大切」*農試旧庁舎保存でシンポ*中標津
2003/06/23, 北海道新聞夕刊地方, 8ページ, 写, 485文字
【中標津】根釧農試・旧庁舎本館の保存を考える「伝成館シンポジウム−ふるさと中標津のいしずえ 歴史を未来に活かしてこそ文化−」が二十二日夜、町総合文化会館で開かれ、約百人が中標津地区の酪農業の発展を支えた農試の持つ価値を探った。
町民有志らでつくる「根釧農業試験場旧庁舎本館保存推進会」の主催。新出実町長が「あくまで民間主導で進めていただき、行政は行政の役割を果たしたい」とあいさつし、北海道教育大学旭川校の今尚之・助教授が「地域の産業遺産とまちづくり」と題して講演した。
今助教授は、産業遺産である農試は、歴史を伝えるだけではなく「まちづくりや観光の資源としても有効に活用ができる」とし、「建物を残すとともに、いかに活用するかという視点を持つことが大切」と訴えた。次いで尾藤哲夫保存推進会事務局長が、NPOとして運動を展開する方向であることを報告した。
パネルディスカッションでは「生産者と消費者、若い世代と上の世代、郡部と都市部との接点になるような場所にできれば」など、活用方法について意見を交わした。
【写真説明】農試旧庁舎の保存に関して意見を交わしたシンポジウム
根釧農試旧庁舎保存に道*「中標津の大切な財産」*町 道に譲渡要請へ
【中標津】2003/08/24道立根釧農試(根室管内中標津町)の旧庁舎について、同町は二十三日までに、道に譲渡を要請する方針を固めた。保存を求めている住民に貸与し、活用してもらう考え。歴史的建造物の保存運動は費用負担の問題などで暗礁に乗り上げるケースが多いが、同庁舎保存は同町の決断で大きく動き出すことになる。
一九二七年(昭和二年)建築の旧庁舎は、当時の根室管内では珍しいコンクリート造り一部三階建て延べ千四百平方メートル。
同農試は三月、完成した新庁舎に移転。「まちの記憶を残したい」と住民らが民間非営利団体(NPO)「伝成館まちづくり協議会」(飯島実代表)を結成し、保存運動を展開。道は当初予定していた本年度の取り壊しを延期した。
住民から協力を求められた中標津町は「建築史的には貴重といいがたい」ことや、財政負担などから当初は消極的だった。しかし、住民側が運営費や、運営が行き詰まった場合の解体費の負担を確約したことから、同町は道に対し、譲渡を要請することにした。道には、無償か、それに近い形での譲渡や、借地料の減免を求め、住民の保存活動に協力する。
二十三日は、就任後初めて根室管内を訪れ、根釧農試を視察した高橋はるみ知事に対し、飯島代表らNPOメンバーが「地域の歴史的建造物です、ぜひ保存に協力を」と陳情し、新出実町長も「住民の思いを実現させて」と協力要請した。これに対し高橋知事は、「道の施設が地域の皆さんにかわいがってもらえるのはうれしい。要望は大切に受け止め、十分検討したい」と答えた。
根釧農試旧庁舎*保存運動団体 NPO法人に
【中標津】2003/12/2根釧農試の旧庁舎保存運動を展開する住民団体「伝成館まちづくり協議会」(飯島実代表)が十九日、道から民間非営利団体(NPO)法人に認可された。
旧庁舎は一九二七年(昭和二年)に建てられた。三月に新庁舎が完成し、道が取り壊す計画だったことから、住民が同協議会を結成し、保存を求めてきた。八月には中標津町が道に譲渡を要望し、道側も前向きなことから、保存される可能性が高くなっている
【中標津】2004/03/25, 北海道新聞朝刊全道 地元住民が保存を求めていた道立根釧農試旧庁舎(根室管内中標津町)について、道は二十四日までに、同町に無償譲渡することを決めた。同町は住民らが設立した民間非営利団体(NPO)法人に管理・運営を委ね、保存活用を図る。道財産が住民要望を受けて保存目的で譲渡されるのは「おそらく初めてのケース」(道管財課)という。
旧庁舎は一九二七年(昭和二年)、同農試の前身にあたる道農事試験場根室支場設立と同時に建築された。鉄筋コンクリート造一部三階建てで総床面積は千四百平方メートル。
昨年三月に同農試の新庁舎が完成し、道は旧庁舎を取り壊す予定だったが、「原野だった中標津市街地がここから形作られた、いわば町の原点」と、住民らが保存運動を展開し、同町は道に無償譲渡を要望。道は、こうした地元の熱意にこたえることにした。敷地も無償で貸与する。
現在、道は移転登記などの準備を進めており、早ければ六月には同町の所有になる見通し。
道農政部の麻田信二部長は「北海道農業をけん引してきた道内各地の農試で、設立当時の姿を残すのは、この旧庁舎だけなので保存されるのはありがたい。住民の熱い思いが昭和初期の建築物に価値を与えてくれました」という。
建物の活用方法は、住民団体の活動拠点や、地元食材の提供の場など、さまざまなアイデアが検討されており、運営を委託されるNPO法人・伝成館まちづくり協議会の飯島実代表は「背伸びをせず、地道な利用方法を地域ぐるみで考え、長く後世に歴史を伝えていきたい」と話している。
道、農試旧庁舎を譲渡*中標津町に無償で*町民の保存運動実る
2004/07/31, 北海道新聞朝刊地方, 29ページ, , 332文字
【中標津】道は三十日、中標津町桜ケ丘の根釧農試旧庁舎を同町に無償譲渡する契約を結んだ。敷地も無償貸与される。道財産が地域住民の要望を受け、保存目的で譲渡されたのは「おそらく初めてのケース」(道管財課)という。
旧庁舎は一九二七年(昭和二年)の建築。鉄筋コンクリート造り一部三階建て、延べ千四百平方メートルで、「原野だった中標津町がここから発展した、町の原点」と住民が保存運動を展開して、道が異例の譲渡を決めた。
町から同日付で委託を受けた民間非営利団体(NPO)の「伝成館まちづくり協議会」(飯島実代表)が運営管理し、貸事務所やイベントスペースなどに活用、保存していく。同協議会は近く、百五十万円をかけて車いす用のスロープを設けたり、建物の破損個所の補修を行う。
ふるさとのいしずえ(上) 釧路新聞連載記事
根釧農業試験場旧庁舎を遺せねば・・・
飯島 実
(NPO伝成館まちづくり協議会 代表理事)
昭和24年東京生まれ。中標津町の計根別に住んで、たった半年。
そんな人間がどうしてこのような運動(根釧農業試験場旧庁舎の保存)をして
いるのか?・・・と不思議に思われていることでしょう。
私の眼には、中標津こそ不思議な町に映っています。
五年ほど前には、中標津空港の航空局に勤務しており、まちづくりの会議な
どの場で「空の港まち」とか、「ナカシの地上絵(格子状防風林)」などと言っ
ておりました。当時は、おはずかしいことに、まったく農業試験場の存在すら
知りませんでした。まして、この街の発展の基盤、原点であったことなど想像
すらしておりませんでした。ただ何か不思議な感じがしていたのです。いった
い、どうして、このような場所に、これだけの街ができ、さらに発展し続けて
いるのかと・・・。
中標津の次には和歌山県の南紀白浜空港に転勤し、同等の規模でありながら、
まったく正反対の町を体験しました。気候、地形、産業、歴史・・・これほど
までに違うものかと思いました。「逆・姉妹空港」にでもしてはどうかと思って
います。その後は、広島空港に勤務し、原爆の傷跡を感じました。その間も中
標津への思いは変わらず、結局、組織改革を機に早期退職し、家族を連れて計
根別に移り住むことにいたしました。 日本各地での生活を体験した末の結論
でした。この町の不思議さに惹かれたと言った方がいいのかもしれません。
昔は「奥地原野」と言われ、開拓することさえ困難で、一度ならずも農業で
の利用をあきらめかけたこの土地に、これほどりっぱな街が栄えようとは、だ
れが想像したことでしょうか。いくつもの幸運と、恵まれた人材、なによりも
想像を越えた苦労と努力があったことはもちろんですが、この保存運動を通し
て、今まで気が付かなかった大きな流れが見えてきたような気がしています。
先日、道庁赤レンガの中を見学し、明治政府が大胆な発想で蝦夷地の開拓の
方針を決めたことを知りました。
各国からの顧問、とりわけ新大陸西部開拓の生々しい経験を持つ米国から、
アドバイザーとしてホーレス・ケプロン氏らを招き、その調査結果を採用して、
開拓の大筋の路線が引かれました。
展示されている旗を見ながら、北海道旗の元となった「北辰旗」の赤い星は、
アメリカ西部、テキサスあたりから飛んできたもののようにも感じました。
ケプロン報告書では、自然の中で生きるアイヌの人たちについても記述があ
ります。アメリカ・インディアンと比較し、農耕をしようとしないなどの批判
的な表現や、温和で、大きな口を開けて笑う陽気な人たちであるとも書いてあ
ります。当時の見方がわかる興味深い部分です。
また、札幌農学校や各地の農事試験場もこの大方針の中で生まれてきました。
現在につながる多くの政策が明治の初めに決められたことであることに驚き
を感じました。
さらに昔の展示資料、江戸時代の松浦武四郎の精緻な地図をながめていると、
現在の中標津周辺の山沿いの場所に「モアン」と書いてあるのが眼にとまりま
した。計根別から裏摩周に行く途中の、特徴のある笹に覆われた団子状の山の
名です。
モアンというのは一説に「瀬を渡る」という意味があると聞きました。昔、
橋が無い時代に、根室や標津、釧路から川沿いに上ってくるとモアンあたりに
集まるのだと気が付きました。川の上流、山のふもとに人が集まり、交流の場
となっていたことが想像されます。遠くから川に沿って、山を目指して歩いて
来たのでしょう。
武佐岳は当時も今と変わらぬ姿であったことでしょう。目標として最適な山、
幾筋もの川の存在が、奥地原野の中にオアシスのような集落を生む一因だった
のではないかと思えます。山の存在は、人に勇気と安心感を与えてくれます。
中標津のふしぎの原因は、この山にあるのかもしれないと思い始めました。
(下)に続く
ふるさとのいしずえ(下)
農試旧庁舎から「伝成館」に
飯島 実
(NPO伝成館まちづくり協議会 代表理事)
昭和2年、道庁に直結する北海道農事試験場根室支場が設置されました。
わずか数十戸の集落の丘の上に鉄筋コンクリート、一部三階建ての威圧感の
ある建物が出現しました。まずは周囲の住民に勇気と安心感を与えたことでし
ょう。やがて広く根釧台地全体の開拓の支えとなったのです。
初代の場長、松野伝氏が作詞された「根室原野の歌」があります。
(メロディーは、伝成館のホームページで聞くことができます。)
丘陵空しく北辰かかり
疎林只々風過ぐるまま
広茫涯てなき根室原頭
春逝ゆき秋去る幾千度・・・
当時の風景が眼に浮かびます。
火山灰の台地の樹木はまばらな林、星空ばかりが冴え渡り、寒風吹きすさぶ
未開拓の果てしない原野の情景が描かれています。
昭和8年1月には、養老牛尋常小学校と開陽尋常小学校の児童六人が猛吹雪
に襲われて凍死するという事故が起こりました。下校途中、危険を感じて学校
へ引き返したものの、学校の玄関前で力尽きて息絶えた子。自宅にたどり着き
ながら積雪のため家には入れずに死亡した子。吹雪の中で妹を自分のマントに
くるんで温めて救い、自分は凍死した小学4年生の女児の記録が残っています。
その後、大規模な植樹が行われ、最長直線部分27KMの宇宙からさえも見
える巨大な格子状の防風林帯が形成されました。
これこそが道庁の一大政策であり、その現地機関が農事試験場根室支場、後
の根釧農業試験場だったわけです。この格子状防風林帯は、自然遺産というよ
り「行政遺産」とでも言うべきものだろうと思います。
「農業試験場」は、知識、研究指導の場であるとともに権威や権力の象徴でも
ありました。中標津の街は、城下町ならぬ「場下町」だったのではないかとさ
え思われます。
今年の春、その本来の役割を終えた旧庁舎本館は、行政上は「負の遺産」と
認識され、一旦は取り壊すことで決定がなされました。役所の理論としては当
然のことであり、その点について批判をするつもりはありません。
しかし、この建物の歴史とともに育った町民の心の中には、武佐岳と「丘の
洋館」、そして白樺の並木道が活きています。小学生の時代には、きっと何度も
図画の写生で描いたことでしょう。朝の鐘の音も記憶の中で鳴っていることで
しょう。
立派に育った基線道路の白樺並木が、76年の時の流れを黙って証明していま
す。
この町の歴史を深く知っている方々とお話しをしていると、この建物は、壊
して産業廃棄物にするべきものではなく、遺し、活用すべきものだとの強い熱
意が伝わってきます。
いまこそ民間の論理で、冷静に、客観的に考えるべき場面だと思います。
幾度もの地震に耐えてきた建物です。今回の地震にも耐え、増築接続部分に
僅かなひび割れがあっただけで、本体自体にはまったく被害がありませんでし
た。その点からも価値のある建物です。貴重な産業遺産、建築遺産なのです。
現在、保存運動の声が広がり、取り壊しの方針が転換されようとしています。
そして活用の具体化が検討され、民間の非営利団体に運営を任せる方向で検討
が始まりました。NPOとしての認証の手続きも進んでいます。順調に行けば本
年中にも法人として登記できる見通しです。
先日、農試の新庁舎において、この地を訪れた高橋はるみ知事とも面談でき
ました。経費や取り壊し費用などの課題はありますが、民間団体としての運動
を理解していただき、なごやかな雰囲気で記念写真を撮らせていただきました。
すでに「庁舎」ではなくなった今、私たちは初代場長の名前を頂いて「伝成
館」と呼んでいます。
地域の発展の礎(いしずえ)であったこの建物を、これからは、民間のまち
づくりの礎として活用し、北海道遺産に囲まれ、守られている町を、さらに住
みやすく、安心できる「ふるさと」にするために活用したいと思っています。
(完)
2003/10/14
2:53 AM